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子育てメンタルヘルスについて?「何か違うこと」をする事から始めよう

バナー(弘大柴田さん)
まだ若い頃、私が勤めていた相談室を一人のお母さんと幼い子どもが突然尋ねてきました。 
私が面接室の椅子に座るより早く、お母さんは次のように言いました。「うちの子どもは、『注意欠陥多動障害』です。治るでしょうか?」
  お母さんの隣りには1歳半くらいの男の子が、興味津々といった様子で私の顔や周囲のものを見ていました。
その子の様子から、お母さんの言うことを信じられなかった私は、どうしてそのように思うのか尋ねました。
お母さんは、「こうして座っている間でも足をばたばた動かしたり、周囲をきょろきょろ見回したりして落ち着きがないから」と言いました。
なるほど、彼は足をばたばた動かしたり、周囲をきょろきょろ見回したりしています。でも、年齢を考えるとそれは当然のことのように思いました。
むしろ私は、お母さんの口から『注意欠陥多動障害(ADHD)』という言葉が出たことに驚いていました。
  その当時、今で言うところの『注意欠陥/多動性障害』はあまり知られているとはいえなかったのです。
そのことについてお母さんに尋ねると、落ち着きのない様子が気になり始め、さまざまな育児書を見ていてこの言葉を知り、自分の子どもがとてもそれに当てはまっているように思えたとのことでした。
  こうした話とそのときの表情から、私はこのお母さんが1年半の間体験してきた悩みや苦労がなんとなく察せられたのでした。  
 イラスト(ベビー服)  
子どもを育てる中で、母親は様々な悩みに直面することになります。

子育てに関する親グループをしている上村(2004)は、グループの中で語られる子育ての悩みを3種類に分類しています。
  その一つは「孤独感」です。
出産を機に、女性は対人関係の大きな変化を強いられることになります。
仕事を休み、育児に専念することもあれば、これまでのやってきた仕事をやめる必要が出てきたりします。そして、子どもを持つ同じ母親との子どもを介したつながりが多くなってきます。
  こうした母親同士のつながりについて彼女は、不安や不満など弱みを見せたり本音を言い合ったりするような関係にはすぐなれないものだと述べています。
どうやらお互いにだめな母親とは思われたくないという競争心にも似た気持ちが働き、関係がギクシャクしてしまうようです。

  二つ目は「心理的拘束感」です。
彼女によると、母親たちは「いつも子どものことを第一に考え、子どもとともに楽しむことに喜びを感じる」といった「平凡な人間には到底できそうもないこと」を感じ、縛られているといいます。
そのためか、「皆さんがしてみて有効な息抜きを教えてください」と話を向けると、参加者の表情が見る見る和らいでいくそうです。

  三つ目は「適切な評価といたわりの欠如」です。
子育てと言うのはできて当たり前だと思われています。
そのため、周りから評価されることはほとんどないのかもしれません。
彼女は、グループの中の大半の母親は自信の持てなさや低い自己評価について語ると述べています。
また、虐待をする親は虐待をしない親よりも自尊感情が低いと言う子ども虐待防止センターによる調査結果もあるくらいです。

  こうして見てみると子育てにはさまざまな「あるべき」「すべき」があるといえるのかもしれません。
母親とはいつも子どものことを第一に考えるべき、子育てはできて当たり前なのだから、誰でもきちんとやるべきなどなど。
 
  こうした多くの「あるべき」「すべき」の中で有名なものに「三歳児神話」があります。
これは、子どもは三才までは家庭で母親の手で正しく育てないと、後々取り返しのつかない恐ろしいことが起きるという考え方です。

  また、同様に有名なものに「母性神話」という言葉もあります。
これは、子どもを産めば、自動的に母性がわいてきて、自然に子どもの世話をしたくなるものなのだという考え方です。
ここで言う 「神話」とは、根拠がないにもかかわらずほとんどの人が信じてしまっているさまざまな社会的な思い込みのことを言います。これら二つは実際には根拠のないものなのですが、いまだに多くの母親の心を縛っているといえるでしょう。

  これ以外の「あるべき」「すべき」の多くも神話であるといえます。
  例えば、「子どもとの一体感」に関して言えば、母親よりも父親のほうが強い、しかも育児にほとんど関与しない父親ほど子どもは自分の分身であるという気持ちが強くなっていることが見出されています(柏木・若松,1994)。
  さらに、母親に育児役割が偏っている場合、母親の父親や結婚に対する態度は拒否的となる(平山,1999)が、二人とも職業を継続してきた共働きの夫婦の場合高い結婚満足度を維持できる(柏木ら,1996)という調査結果すらあるのです。

   このような「あるべき」「すべき」という言葉がいかに、母親をそして子育て支援にかかわる専門家を縛ってきたのかを改めて考える必要がありそうです。
  始めに紹介したお母さんも、こうした「あるべき」「すべき」に図らずも縛られていた一人でした。
  彼はお母さんにとって初めての子どもで、お父さんは転勤族であり出張しがちという状況でした。その中で、お母さんは妻として夫の留守を守り、母親として子育てをたった一人で頑張っていたのでした頼りになるのは市販されている育児書だけという生活の中で、子どもの落ち着きのなさに気づき不安を高めていったことがその後の面接の中で明らかになりました。
  子どものちょっとした行動の変化に母親が不安になり、それが子どもの行動に影響し、それによってさらに子どもの行動が変化してしまう、これを心理学者のザメロフは「発達的悪循環」と呼んでいます。
まさに、このお母さんはこうした「発達的悪循環」の渦の中に巻き込まれていたと考えられました。
  これは、決して特別なことではありません。ある一定の条件がそろえば、どんな母親と子どもの間にも起こることなのです。
「発達的悪循環」に陥ってしまう原因の一つに「あるべき」「すべき」があることは明らかです。

   この「発達的悪循環」から逃れるために我々はどんなことができるでしょうか。
「あるべき」「すべき」という考え方をしないこと、これが一番思いつきそうなことです。

   しかし、実際にはこうした自分の思い込みを変えることはとても難しいことです。
なぜならば、思い込みを変えようとするためには、まず始めにその思い込みについて考えなければならないからです。
これは、「『キリン』のことなんか絶対に考えないでください」と言われているのと同じです。どうですか?この一言を読んで一番初めにイメージしたのはキリンのことではなかったでしょうか。
  「あるべき」「すべき」という考え方をなくそうとは思わず、自分の中にあるのだということを知るだけにとどめておくだけでも楽になることができると思います
。   外に眼を向けること、これも大事なことといえるでしょう。しかし、これも実際には難しいことといえるかもしれません。
なぜならば、これはとても大きな一歩だからです。
はじめに紹介したお母さんも子どもをどこかに預け、子育てとは関係ない友達と何かをすることを助言されたそうですが、やはりなかなか動けなかったそうです。
このことも、「あるべき」「すべき」と同様に心にとどめておき、やれるときにやってみようと考えるくらいが良いのかもしれません。  
 イラスト(ドミノ)  
 では、さしあたってできることは何でしょうか。
それは、いつもと違う何かをすることなのです。
どんなことでもかまいません。育児の中で毎日行っていることの中で「何か違うこと」をするのです。
  「発達的悪循環」は、定まったお互いの行動パターンの連鎖によって起こります。だから「何か違うこと」をするのはどんなことでも、行動のパターンの連鎖を断ち切ることにつながるのです。
池に小石を投げるとその波紋が池の全面に広がっていくように、小さい変化は生活のさまざまなところに変化を生じさせていきます。 
 ドミノ倒しの「ドミノを最初に倒す」ように「何か違うこと」してみませんか。
  先に紹介したお母さんも、「何か違うこと」をしてみました。それをきっかけに友人を作るようになっていきました。その後は、「注意欠陥多動障害」と言わなくなっていきました。
  いったいお母さんは何をしたのでしょうか。それは秘密です。それをここで書いてしまうと、皆さんの 「何か違うこと」をするのに影響が生じるかもしれないからです。    
さしあたって、「何か違うこと」をすることから始めてみませんか?
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