子育て(得)情報

「あおもり子育てネット」の過去記事を再編集して掲載しています。

障がい児の親になるということ??障がいのある子と楽しむ日々

           
 

  分娩台の上で、看護師の知識と母としての思い 

 
   タケヒロ君は青森県立第一高等養護学校に通う高校1年生。アテトーゼ型脳性麻痺一種一級という障がいをもち、言語障害もある。
 
   青森市内の産婦人科でタケヒロ君を出産する際に、逆子だったが普通分娩でも出産可能との診断を受けて普通分娩で出産した。しかし、赤ちゃんが予想以上に大きかったため、出産が長引いた。
 
              
   タケヒロ君のお母さんは准看護師だった。生まれたときにすぐに泣かない赤ちゃん。タケヒロ君のお母さんは分娩台の上でじっと時計を見つめていた。「泣いて、早く泣いて」と思いながら。11分間泣かなかった。准看護師の知識から、「この子は助からないか、寝たきりになる。」と感じた。その一方で母親として「うちの子だけは大丈夫。」と。
 
   赤ちゃんだけが総合病院の「NICU(新生児集中治療室)」に運ばれた。1週間後、お母さんが退院して赤ちゃんに面会に行く車の中で、初めてお父さんからタケヒロ君の状態が伝えられた。
 
 
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「重度の障害が残る」と言われたが 

 
   当初の医師の説明では笑うとか、人を認識することはないだろうと言われた。だが、「絶対」ということはないはずと、とにかくいろんな体験をさせることにこだわった。いろいろな物をさわらせた。おもちゃも洋服も、認識しやすいように色鮮やかなものを選んだ。食べられないけれど、ご飯を用意し、周りを汚しても自分の手でさわらせ、口に持っていかせるようにした。
 
   1年たたないとどういう麻痺が出るか分からないという説明だったが、早いほうがよいのではと考え、生後6ヶ月からあすなろ学園(現:あすなろ医療療育センター)に訓練に通い始めた。
 
                
   吸引力が弱く、口からミルクを飲めなかったので、鼻の穴から胃に通した栄養チューブでミルクを飲んだ。なんとか口から飲めないかと、ほ乳瓶やほ乳瓶の乳首を全メーカー・全サイズ揃えて試したりした。
 
 
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   ミルクは結局飲むことはできなったが、離乳食は口にすることができたので、医師にも相談し、思い切って栄養チューブをはずした。
   毎日、栄養の摂取量、水分量、おしっこの量を量り続けた。思い返せば、「なんとか自分の口から食べ物をとらせたい」と、余裕がなくなっていた頃だと思う。
 
            
   せっかく助かった命。家族で楽しみたい。 
 
   看護師をしていたときに、いろんな病人やまた、その家族を見てきた。お金持ちでも入院中誰も見舞いに来ない人、反対にいつもたくさんの家族が来てる人。そういう経験からかもしれないが、「その人にとって何が大事かは、誰にも決められない」という思いが強い。
   この子は命が助かっただけでも幸せだ。親戚・知人から、言われたくない言葉を言われたときもあるが、そんな時は聞き流す。
  「この子にとって何がいいかも分からないのだから、とりあえずなんでもやってみよう。とにかく経験してみないと。」
 
              
                   
 

  何でもやりました  

 
   小さい頃は呼吸も安定せず、鼻にチューブをつけ、時間が来ると栄養の注入、定期的に痰(タン)を吸引。出かけるとなると当然荷物も多く、苦労もあったが、それでもあちこち旅行もした。
   釣り、キャンプ、水泳。普通のことばかりだけど、餅つきやお祭りの行事も家族で楽しんできた。
   
 
 
 
 
 
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  キャンプを楽しむタケヒロ君一家 
              
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  毎冬の楽しみのバイスキー 
 
 
 
                   
 

  どうすればできるか 

 
   身体が不自由なので、物理的にできないことはたくさんある。でも、できなくてあきらめるのではなく、どうすればできるかを考えた。パソコンができるように特殊なキーボードをつくってもらったり、水泳ができるように浮き輪をつくったり。 

 
 
 
 
 
 
 
            
 
子どもの成長とともに。 
 
   タケヒロ君が小学校高学年の時、「なぜ、僕の足は動かないんだ。」と自分の足をたたきながら泣いたことがあった。子どももまた、障がいの受容をしなくてはいけない時期がきた。お母さんは、生まれたときの状況を説明し、謝った。
 
              
   中学生の時、「どこまでがんばらなくちゃいけないんだ。」と言ったことがあった。うまく動かない手を駆使し、身の回りのできることをしたり、勉強をしたりし続けていたタケヒロ君。この子は私が思っている以上にがんばっているんだ。がんばらせ続けてきたということに、お母さんは気づいた。
  「がんばらなくていい。この子の人生を楽しんでくれれば。」
 
 
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   障がいのある子が生まれたとき、親が乗り越えた思い。子どもの成長と共に形を変え、子どもと一緒にその時その時に対応していくしかないのかもしれない。 

 
            
 
  タケヒロ君のお母さんから。今がんばっている親御さんへ。
 
            
   自分だけが大変じゃない。一人じゃない。まず、外に出て!いろんな風にあたって!いろんな空気を吸って!きっといろんな事が見えてくるのでは。 
 
            
 

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