子育て(得)情報

「あおもり子育てネット」の過去記事を再編集して掲載しています。

「子育て体験」~我が子の“育てにくさ”に向き合って~

我が子の“育てにくさ”に向き合ったお母さんの子育て体験です。

 「何回同じこと言わせるの!」といって、息子の肩を揺する鬼の形相をした私がいた。
 息子が小学校に入った頃だ。
 「だめだよ、やめなさい」という指示が息子には入らないのだ。
 “やれって言われたことはしないで、やるなって言われたことはする”息子。子どもが困った行動をおこすと、親のしつけがなっていないからだと言われる。責められる度に「もう親やめたい!」って思い続けてきた数年間。息子が可愛いと思えない最低の母だった。
 後に、息子は高機能性広汎性発達障害という判定(簡単にいうと知能に遅れのない、言葉を普通に話せる自閉症)を受けた。
 息子を育てるために、学校をはじめとした社会とどうつき合ってきたか、自分自身や夫とどう向き合ってきたか、私の体験が誰かの人生にちょっぴり参考になることを願って。



“育てにくい”と感じたとき

乳児期

 最初に「ん?」と思ったのは1歳頃。この子は人見知りしないなあと感じた。息子から母として認識してもらっていないのかな?と、何とも言えないむなしさを胸に秘めるようになった。

乳幼児期

 1歳半頃から、子育てに体力と気力を必要とした。子育てしにくい子だなあと感じることを大きくあげるとしたら4点。

1.好きなことをいつまでも続ける
2.落ち着きなく動き回るうえ、発熱しやすい
3.興味のないことは頑固なまでにしない
4.母として慕われていない寂しい感じがする

言葉の発達や運動能力はとても良かった。


好きなことをいつまでも続ける

 外が大好きでお家に帰りたがらなかった。
 気に入った遊びを始めると、とことん納得するまで続け、暗くなってもごはんの時間になってもやめず、泣きわめくのを抱えて家に帰ることが多かった。
 水たまりへのジャンプだったり、マンホールに石を落とすことだったり、公園の池での水遊びだったり、砂遊びだったり、他の子がみ?んな帰っても一人で時間を過ごす子だった。
 家事をしている最中、カギを閉めて家にいても、いつの間にか窓からジャンプして出て行ったり、ベランダの柵を乗り越えて外に出て行ったりして、大慌てで近所を探したこともあった。

 ミニカー集め。
 ずらーっと美しく並べ、うっとりしていた。わざと車の向きを逆にすると、すぐに気が付き怒って向きを直す子だった。“働く車”のビデオを一日に何度見ていたことか・・・。ブロック遊びでの作品は素晴らしいものだった。

 高いところに上ること。
 テーブルにのぼることをやめさせたくて、何度も叱ったが全然効果なし。なんで?って悩んで叱る気力を無くしていた時に「してはいけないことは、小さいうちから教えないと大きくなって急にダメって言われても子どもが混乱するよ。」なんて言われて、とても落ち込んだりした。

 息子にとってすごく興味のあることが常識的にみて良くないことだった時に、それをやめさせるのがとっても大変。言ってきかせる、なんて通用しない。ただその場から離れ、本人の目から見えないようにするしかなかった。


落ちつきなく動き回るうえ、発熱しやすい

 「危ないからやめなさい」の指示が入らない。

 ベランダから回転ジャンプして顔をケガする。銭湯で頭を打ち大出血、救急車騒ぎ。岸壁から海に落ち自衛隊に救助される。回転ドアにはさまれる。などなど。ケガが多かった。肺炎で入院中も熱が下がったとたん、点滴につながれたままベットからジャンプしようとする。4回の入院付き添いは大変だった。

 手をつないで歩くことをとても嫌がった。外に出て真っ直ぐ帰れたことはない。必ずおんぶ紐をもって歩き、急いで帰らなくちゃならない時はおんぶしてベビーカーを押して歩いた(ベビーカーからするっと抜けちゃうんだなあ、何か興味のあるものを見つけると)。

 当然、スーパーの買い物カートにも黙って座っていない。10分以内で買い物を終えるか、棒付キャンディを持たせていた。レジで支払いを待っている時は、足でカートを押さえ片手で息子を押さえる。食材の宅配サービスがなければ飢え死にしていたかも。

 チャイルドシートは必需品。最初は座ることに、ものすごく抵抗した。座るまでスーパーの駐車場に一時間近くいたこともある。これだけは譲れないと思い、発進させなかった。車を置いて歩いて帰ったこともあった。何度かそれをくり返したら、スムーズにシートに座るようになった。

 2歳半くらいまでは「好奇心旺盛な子だな。」で済む。でも3歳すぎても手をつながないし、「そっち行けばだめだよ。」と言ってもかまわずに行って、あっという間に迷子になってしまう。下の子が生まれてからは乳児を抱きかかえながら息子を追いかけることになり、なんか疲れるなあ、育てにくいなあと感じる毎日になっていた。

 よく熱を出した。発熱は毎月1~2回、1月のうち半分は熱を出して病院に通い、半分は多動性からくる行動のくり返しで、私に息切れさせるみたいな息子との日々。少しでも時間があったら眠りたい、ゆっくりとトイレやお風呂にはいって、ゆっくりとごはんを食べたいと思っていた。そして、外食したいと。何回か外食したことはあったが、店中走り回るし、いろんな物にさわっていたずらするし、ちっとも私たちのそばにいない。しかも全然食べないので、夫と交代で外に出て子守して一人ずつ食べることになるから、楽しくない。幼児期はほとんど外食をしなかった。ディズニーランドに行ったとか周りではよく聞いたけど、電車に乗って旅行するなんて考えただけで疲れた。追いかけるだけになるからねえ。

 この多動性は小学生になるにつれ、ほとんど目立たなくなったので、とても楽になった。念願の電車での旅行は、息子が小学3年生になった時やっと行けた。でも、動物園で行方不明になった・・・。ま、想定内です。


興味のないことは頑固なまでにしない

 1~3歳頃、知人に誘われるままに、何度か子育ての親子行事に参加していた。でも息子は、その遊びのメニューに全くはまらなかった。ダンスとか手遊びは全然やらない。ブロックは大好きで遊んでいたが、「ブロックお片付けしますよ?。」と言うと抵抗した。物置に入っていってなんか探してきたり、会場から出て階段の上り下りをくり返したり・・。何のためにここにきたの?という気分だった。しかも、私ではなく初対面のお母さんに抱っこされてたり。まるで、なんか私が「家で虐待でもして、かわいがってない母なんじゃないか」という気分になった。出かけるたびにそんな感じ。じゃあ、なんで行ってたかというと、親同士の付き合いで仕方なくだった。でもきっぱりと“出かけることをやめる”決意をした出来事があった。

 そんな調子でちっとも遊びのメニューにはまらない息子を見て、一緒に行っていた知人がこう言ったのだ。

 「自分の子どもがそんなだったら、私だったら耐えられない・・。」

 育てにくい子をよく面倒みてるね、というねぎらいだったのかもしれないが。その同情されたような雰囲気、自分の子が変じゃなくてよかったという、知人の優越感みたいなものを感じずにはいられず、屈辱だった。その日夫に「息子のことをこんなふうに言われた。」と初めて泣いたような気がする。

 その一件から無理して集団行事に出かけるのはやめた。息子の好きな外遊びを中心におにぎりを持ってベビーカーや車で出かけ、一駅だけの電車に乗ったり、広い公園で好きなだけ走らせたりして過ごした。着替えはたっぷりと車に積んであった。寒くても水浴びをやめないからだ。息子の興味に合わせ、迷惑になるような狭い場所には行かないようにした。

 こんな私に「集団に入れてみんなに合わせる練習しないと、後で大変なことになるよ。」と脅しをかけてくるママ友?もいた。でも、もうそんな苦痛はごめんだったし、もっと居心地のいい生活をしようという気持ちは変わらなかった。


母として慕われていない寂しい感じがする

 息子に合わせいろいろ工夫して生活してたわりには、あんまり慕われていない感じがした。

 他のお母さんに抱っこされてたり、私がいなくても平気で遊んでたり、一人でおばあちゃんの所に泊まりに行ってたり。楽でいいけど、でも・・・。

かわいがってるんだけどなあ?・・・みたいな。

 4歳頃、「息子はきっとADHDという障害ではないか」と思っていた。でも、息子の特徴に合わせて生活することに段々慣れてきて、日常生活で制約はあるものの特に困ってはいなかったので、どこかに相談にいくとか考えたことはなかった。

 ただ、幼稚園は息子の特徴(落ち着きがない、興味にむらがある)にきちんと配慮してくれる所をと考えていた。しかし夫は、稽古事がある園で刺激を与えたほうが子どもが伸びると主張し、意見が分かれた。しかし、体験入園時の息子を見て、(先生の話に関係なく、自分の好きなことしかしない)指示に従わせることが困難っぽいことがわかり、しつけ中心の園はやめようということで納得してくれた。

 5歳から入った幼稚園では、本当によくしてもらった。興味にむらがあることは十分把握したうえで、無理せず、でも作業はきちんと最後までこなすよう導いてくれた。息子の得意なことをたくさんほめてくれ、ヒーロー気分で幼稚園の人気者だった。お友達とのやりとりも多かった。今でも感謝でいっぱいだし、保育のプロと尊敬している。



~障害だと考えるようになった時~

 鬼母への道を歩き始めたのは、息子が小学校に入った頃だった。就学児健診では何事もなく、そのまま普通学級へ入った。個人調書には、特徴や配慮する点などたくさん書いて提出した。

 でも、やはり毎日怒られて帰ってきた。先生の話を聞く時、消しゴムをさわっている、おしゃべりをする、イスを前後にゆらす等、多動性からくる行動がほとんどだった。2週間目頃には、嫌がる息子の手をひき学校に連れて行った。「怒られるのはお前がよくないことをしているからだ、先生の言うことを聞きなさい。」と。

 しかし、4月末に息子は「学校行かない。」と泣いてうずくまってしまった。先生と話し合いを持った。でも2ヶ月して、「もう絶対学校に行きたくない。」と言い出した。

 先生の言うことを聞くことの必要性を理解できない息子にとって、学校での様々な指導の積み重ねは「僕は学校に来るなってことでしょう。」という受け取り方になってしまったのだった。

 息子の特徴を口頭で説明して理解してもらったつもりだったが、”しつけ”の範囲でしか語られない現実。つい数ヶ月前までなんの問題もなく幼稚園ですごしてきたことを思うと、なぜこんなに息子が苦しむのかわからなかった。

 この2回目の登校拒否が、「このままではいけない、なんとかしなければ。」と思った決定的な出来事だった。息子は普通に会話ができるし、手先も器用だし、運動神経もいい。記憶力もいい。でも、「こうしなさい」とか「これはしてはいけないよ」といった、人の指示は聞けないことが多い。よくわからないけれど、“耳からの言葉を頭で処理して、行動に移す”という仕組みのどこかで、何か問題があるのではないだろうかと思った。

 私が変われば息子は変わるのか?色々な本を読んだ。毎週土曜日往復4時間かけて親業の研修にも通った(親業:親子・家族などをはじめ、様々な人間関係に役立つコミュニケーションを学習する)。ここから広がった人脈が、今の私の生活を切り開いてくれたものだ。でも、やはり私の対応を変えただけでは、納得がいかない息子の言動にはあまり変化は見られなかった。

 「ちゃんとした検査を受けよう。」と思った。周囲の反対の声もあった。「この子は普通だよ。ちょっと落ち着きがないくらいで。(親が勝手に子どもを障害者に決め付けて、将来の可能性をうばうのか。しつけを放棄するのか。)」という声だ。悩んだ。でもこのまま何もしないでいたら息子がつぶれる、善意で息子を「普通だよ。」と言ってくれる人たちも多かったが、息子の最終的な責任を負うのは親しかいないのだ。

 学校に「特殊学級を考慮に入れたいので・・・。」と就学指導検査を申し出た。でも「必要性を感じられないから。」と、その時は受けられなかった。知能検査の結果も、親はわからない。どうやって息子のことを知ったらいいのか、しばらく途方にくれていた。

 学校は少し休ませた。児童相談所に発達検査を受けに行ったのは、小学1年生の夏休み。私にとって一番重い選択の時だった。

 最初の電話は緊張し、初めての面接の時は泣きだしてしまった。気づいてしまったのだ。そう、私は息子を育てるのがとても大変だったということに。

 でも、母なのにそんなことを思ってはいけないと、考えないようにしてきた。あんなにたくさん工夫して、他人の迷惑にならないように、子どもがのびのび生活できるようにと、他のお母さんの何倍も何十倍もがんばってきた。でも、何かにつけて「家庭のしつけがなっていない。」というメッセージを受け続け、苦しかった。息子のせいで私が責められると「なんで言うことを聞かないの!」と怒鳴ったり、たたいたりしてしまう。そんなことをしても、息子に指示は入らないのに・・・。幼児期からそれは十分わかっているはずなのに。“ちゃんとしつけしているお母さん”と見られたくて声を荒げる。すごく、すごく苦しかった。一方では「もっと愛情をかけてあげて。」なんて言われる。「こんなにやってきたのに、一体どうすればいいのよ!」という思いで混乱していた。

 怒鳴る回数が増えるに連れ、息子は私がそばを通るたび身をよけるようになった。そして自分で自分を叩き、かじり、ひっかき、壁に頭を叩きつけて「このばか、このばか、死んでしまえ!」と泣くのだ。それを見たときもうだめだと、私は何をしているのだろうと思った。周りからみての、ちゃんとしたお母さんでいることに何の意味があるの?息子には何も伝わってないどころか、お前はだめなやつだから死ねというように受け取られているのではないか。



~個性をひとつの障害として考えてみる~

 「様子をみる」のはやめよう、そう思った。息子には怒っても通じない。「息子の特徴は個性かもしれないけれど、でも学校では通用しない個性なのだ。援助が必要な個性なのだ。そしてこれはひとつの障害でもあるのだ。」と、世間に話さなければ息子の居場所はないのだと。

 精神科を受診した。確定診断はつかなかったが、自閉症に準じた対応を学ぶことにした。

 このときの児童福祉士さんには、本当にお世話になった。学校に出向いて校長先生たちと話し合いを持ってくれたのだ。でも、その当時はまだ、息子の特徴を障害として理解を得ることは難しかった。

 3学期になって、初めて連絡帳にほめられたことが書かれてきた時には涙が出た。「口うるさいお母さんという評価でいいから、息子を守ろうという決心をしてよかった。」と、このときちょっぴり思った。

 その後、学校は転校した。息子の特徴を障害として対応してもらえるまでには、だいぶ時間がかかった。この障害を詳しく知る先生がいることは心強かったけれど、全員がそうではなかった。私が泣いたことも数知れずあった。2ヶ月近く休んでいた時期もあった。口頭での指示が入らない息子の指導に、先生が悩んでいるのはよくわかった。苦労をかけて申し訳ないと思うけれど、そういう状況を連絡帳に書かれることは私にとっては苦痛だった。

 毎日息子と一緒に登校し、学校で一緒に授業を受けているうちに「ああ、多分こういう説明の仕方が、息子には何をしたらいいのか理解できないのだなあ。」と感じるようになってきた。先生とは何度も話し合いをもったり、対応の仕方の参考例がよく書かれている本を紹介したりした。様々なトラブルを経ながらも先生が息子を知ろうとする努力は伝わってきたし、講演会で聞いた対応法も、すぐに試してみてくれた。でも、先生一人では大変だ。やはり、支援員や教師の加配を役所に要望する必要があった。



~支え合う~

 夫に協力してもらわないと、学校での支援は受けられなかった。母親一人が行っても、対応してもらえないことが多いのだ。

 親業で学んだ会話を使って、夫に協力してもらえるよう努力した。これが結構、「おぉっ!」と思う方向に進んでくれた。 私の元来の性格からすると、「ありがとう。」とか、「こうしてくれて嬉しい。」とか、人をほめることが苦手だったのだ。でも、がんばってみた。仕事の帰りが11時とかの忙しい中、夫はとても協力してくれるようになった。私の話を聞いてくれることも多くなった。私の不安に対する、夫からのタイムリーな励ましのメールも心強い。息子の障害を認める前より、ずっと夫から支えてもらっている実感が増えた。息子の問題に出会うたび、夫と一緒にそれをひとつずつ乗り越えてきたという充実感も今ではある。

 がんばっている自分をほめてくれる人たちにも出会った。身内や、近所のおばさんや、親業を学んだ仲間だったり。なんか気がついたら、助けてもらうことがすごく多くなっていた。

 校長先生も努力してくれた。今は学校全体で支援してくれている実感があり、安心して息子を出してやれる。先生達は息子の得意なことを生かしてくれている。授業は全然聞いていないから教科成績はいまいちだが、毎日友達と遊ぶのを楽しみにしている。環境が子どもの様子を変えることを実感している。「口うるさい夫婦」だとは言われているだろうけど。でも、かまわない。

~幸せのかたち~

 私が怒鳴ったりすることは今でもあるけど、前みたいに肩を揺すってふりまわす、なんてことはない。アッ、少しはあったかな?

 私に、息子のほんとに小さい成長が見えるようになった。あんなに食べない子だったのに、一膳のごはんを食べるようになった。駐車場を歩くとき手をつないできたり、暗いところで「お母さん」と頼ってくるようになった。忘れ物を届けてあげたら、追いかけてきて「どうもです!」なんてお礼を言うようになった。ポケモンしか書かない日記に「俺のお母さん」なんて絵をかいてくれるようになった。息子の中に、やっと私の存在が入ったのかなと感じられることが多くなってすごくうれしい。

 今は幸せな気持ちがちょこちょこ感じられる日が増えてきたかな。トラブルも毎日絶えないけれど、夫と二人でクリアーするゲーム感覚で、「また来たなあ。」って感じだ。息子の特徴を障害だと考えるようにしてから、4年目にしてやっとこんな感じ。

 はたから見たら「何やってんの?あそこの家」って言われるかもしれないけど。「自分が居心地いいんだから、いいんじゃないの。」と開き直ってるところはあるかな。 泣いてもなんにも解決しないという人もいるけれど、私は泣くことも必要だと思ってる。苦しいって声に出して、心を空にしてやらないと、楽しく感じる気持ちも入る余地がない。だから、もし「なんか子育てが辛い。」、「育てにくい、この子・・・。」ってお母さんが感じてしまったら、それをごまかさないほうがいいと思う。

 私の場合は、私自身がAC(アダルトチルドレン)で生きづらい性格でもあったから、ダブルパンチで子育てが苦しかった。この夫と結婚して子供を産んでよかったと、今やっと思える。(ACとは機能不全家族で育った生きづらさを抱えた人のこと)

 この先どうなるのかはわからない。でも、自分の気持ちをよくみつめて自分で納得した選択をしながら、暮らしていこうと思っている。様々な人に感謝しながら。



 もし“育てにくいな”と感じるお子さんを抱えているお母さんがいたら、きっとそれは“あなたのしつけが悪いから”ではないよ。そう感じたお母さん、その気づきがあなたとお子さんの幸せのスタート。今までと違う一歩を踏み出すまで、とっても苦しいけれど、でもやってみる価値があるよ。泣きながらでもなんでもいい、かっこ悪くて当たり前だよ。手助けしてくれる人が、きっといるよ。

 せっかく与えられた人生だもの。幸せになろう。~あなたの幸せを願って~

END




Hさん、貴重な子育て体験をありがとうございました。

 「逃げたい」と思ったとき、「逃げない勇気」「向き合う勇気」を感じました。長い人生ですから、時には「逃げる勇気」が必要なこともあるかもしれません。一つの方向性を見つけるために、右に行ったり左に行ったり、立ち止まってみたりしたっていいじゃないですか。あなたもわたしも一人じゃない。手を引いてくれる人が必ずいるはずです。




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